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17 ペイッコのムッリがすねたとき

妖精
妖精
 湖岸の小さな森は、はちけるような夏の朝に目覚めた。夜に激しい雷雨があり、それからはじまったどしゃぶりで、どこもかしこもずぶ濡れだ。しかし夏はありがたい。灼熱の太陽に、雨の名残りは跡形もなく乾いた。
 朝早く、森の妖精アメリィニが、精霊をともない、ジュニパーの茂みを散歩していた。森の小径をいっしょに並んでゆったり歩き、行く先々で路傍の花たちと、夜中、猛り狂った雷雨のおしゃべりをした。雷の嵐で無惨に壊れた物は幸いなかった。立ち枯れの木が数本、地上になぎ倒され、その一本は小川に倒れたが、森に棲むものたちはすぐ橋にして、足繁く渉るようになった。  ペイッコの子のムッリも、動きだしていた。両手をズボンのポケットにつっこんで歩き、前に小石を見つけると蹴って自分の行く手から退かした。そうやって小川まで来ると、小川の上に迫り出している木に登り、枝に座った。眉間に皺をよせ口をへの字に曲げ、むっつり座り、クリスタルのように煌めく小川の流れを見つめていた。
 夏の朝はなんと美しい。ナイチンゲールのさえざえとしたフルートのような啼き声が、耳に優しく美しい。数千の夏の香りが大気に漂う。温かく、森の木の実も摘まれるばかりに熟している。しかしムッリは、そういうものに興味がなかった。心が沈み、辛い気持ちで一杯だ。それがすべてを深々と覆いかくしていたのだ。しかもムッリが落ち込んだのは自分の誕生日だった。  じつはムッリが誕生日のプレゼントに欲しがっていた鏡の欠片をもらえるかもしれないと、父ペイッコが約束してくれたはずなのに、昨日、ムッリの誕生日だったのに、大きな望みはかなわなかった。それというのもムッリのために父が人間の国で鏡の欠片を手に入れてくれなかったから。かわりに父は自分で釣り針を作ってくれた。カササギのシィリの店では鏡の欠片は、もう大分前に売り切れで、シィリは人間の国へ出かけて、通りや庭をずいぶん捜したけれど、まだ新しい品を仕入れることができないでいた。
 ムッリは、釣り針には目もくれず、悔しそうに隅に投げとばし、目に涙を浮かべ、外へ、青く煙る夏の夜へとびだした。一晩、家に帰らずに自分の遊び小屋の砂利の上で眠った。ムッリが家に帰ったのは、少なくとも、夜降り始めた激しい雷雨のせいではない。その夜は、勇敢にも小屋の隅で、ワラの中に縮こまって頑張った。それから朝になり、太陽が昇って、ようやく、とぼとぼ小川の方へやって来た。もう絶対、家には帰らないと決心した。そして今、小川の木の枝に座り、そのことについてよくよく考えても、決心はつよまるばかり。まず良い場所を見つけよう、そうして、素敵な自分の家を急いで建てよう。自分の家の考えが気に入って、厭な気分があっというまにどこかへ消えた。
 けれどムッリがちょうど歩き出そうとしたとき、後ろで父ペイッコの大きな声がした「こんなところにいたのか!あちこち捜し回っていたのだぞ。お母さんも、おまえの友だちのところに捜しに行ったのに昨日から誰もおまえを見かけていない。朝になっても、おまえが家に帰らないので、わたしらはもう本当に心配で心配でたまらなかった。どうしておまえは、こんなに怒っているのかい、小さなムッリ坊よ」
 「ぼくは、もう小さくない」口応えして、ムッリは、ふてくされた顔つきで、父を見た。そのとき父には、ムッリがどうしてこんな態度をとるのか理由がわかった「おまえが可愛いんだよ。誕生日のプレゼントに、欲しがっていた鏡の欠片をもらえなかったから怒っているのだね。しかし、おまえは以前、そういうのがどこかでもし見つかったら欲しいと言ったのを覚えているかい。見つからなかったのだよ。だから私に怒ってもどうしようもないだろう、だいじなムッリ」父は、優しく答えて、木の枝に、ムッリのそばに、ナップサックをしょったまま座り、手に持った釣り針を眺めた。
 ムッリは、なにもしゃべらない。口をへの字にまげて、額に皺をよせ、むっつりと目の前の小川の流れを見ているばかった。自分が口をきかないせいで、こんなことになったのを後悔している素振りをこれっぽっちも見せないように。
 「言ってごらん。どうしてそんなに鏡の欠片がだいじなのか」それから父が言った。「だってさ」ムッリが小さく答えると、急にびっくりするほど咽喉がしゃくりあげ、目からぽろぽろ涙が溢れた。それに小さな顎が震え、泣きながら、厭な気分が外へ流れだした。顔を両手で覆い、ムッリは心も張り裂けそうに、父の肩でしゃくりあげた。父は、ムッリを穏やかに腕にひきよせ、ぼさぼさ髪を撫でながら、いろいろ話して聞かせて慰めて、それから、涙に濡れた男の子の顔を柔らかいハンカチで拭いてあげた。
 「どうだ、落ち着いたか」父は優しく尋ねた。「うん・・・まあね」ムッリは、まだ震える声で途切れ途切れに答えた。「さあ、あのなあ・・・私といっしょに釣りに行くかい。まさかこんな小川のところでおまえに出会うちょっと前、湖の岸辺に行ったのさ」父はそう言って「きっとお腹がすっかり空いているだろう。ちょうど弁当がある。たっぷり二人分だぞ。少し前にちょっと食べたけどね、だって、おまえを捜して、ここから、あるいはあの岸辺から、もっと先へ行かなくてはならないと思ったものだから。それがこうなった」
 すっかり泣いたムッリは、まるでべつの男の子のようだった。厭な気分は、なにか不思議な力で吹きとんでしまった。そのかわり、うきうき楽しい気分だ。ムッリは、父といっしょに大喜びで出かけた。魚のシチューの食材を、母に持ち帰ってあげよう。岸辺の小径で、ムッリは立ち止まり、ふてくされてごめんなさいと言い、キツツキのティモが魔法使いの姿が見えると言うから、鏡の欠片が欲しかったと打ち明けた。今度は、父が、微笑みながら、鏡の欠片を見ると、自分の姿が見えるんだ、なんの不思議もないと話した。水面を見るのと同じだ。鏡みたいに自分の姿が見えるから、人間が発明した鏡とまったく同じだよ。
 ムッリは、父の話しを信じた。それ、鏡のことは、ぜんぜん口にしなくなった。自分の家を作る気もなくなり、父と母と妹ミンナがいる家が、世界で一番良い処だと考えた。


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